世界と人生を彩るもの

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本 桐野夏生「抱く女」

著者 : 桐野夏生
新潮社
発売日 : 2015-06-30
桐野夏生はいつもキリノナツキとよんでしまって、あとからキリノナツオだった!と少し恥ずかしい思いをします。

以前読んだことがあるのが「グロテスク」と「東京島」。人間関係のドロドロを書くのが上手ですよね。それぞれ、はたから見てて(客観的に見て)「痛い女」が出てくる。うわ~こういう人って痛い、痛々しいな~と思ってみてるけど、ふと気づく。「自分も意外とそうなんじゃないか」と。もしくは「そうなっちゃうんじゃないか」と。

「抱く女」に登場する主人公は、読み始め、感情移入して共感する感じで読んでいたけれど、ふと気づいて客観的に見たときにいわゆる「痛い女」だった。

私が学生のころ、彼氏がころころ変わる女の子が何人かいて、どの子も付き合って、別れて、すぐ次の彼氏と付き合ってってことは同じだけど、まわりからの”評価”が違った。かたや「あの子はモテるよね」、もう一方は「あの子は軽いよね」。その評価ってどこで分かれてるんだろうと疑問に思ってた。

そんな学生のころ、そして今もある”何か”を含めた”女性”ネタが描かれている作品だな~と思った。

舞台になっているのは1972年で、まだまだ「男女不平等」が当たり前だった時代。その中で、主人公の直子は憤っている。女の価値が、男の値踏みによって決まることに。

でもこの作品を読んでいて私が思ったのは、男女不平等が当たり前だった1972年と、男女平等が当たり前だけど全然平等じゃない2016年、どちらが女性は幸せなのかなってこと。

結局今も昔も、女の生きやすい生き方って変わってないんじゃないか。性別関係なく、ひとりの人間として女性が自立するためには、戦わなくちゃいけない。戦い続けるのは疲れる。結局現状に合わせて、男主体の社会で従うほうが効率よく生きれる。

この作品の結末は、結局直子が「ひとりの女性として生きていく」というところに落ち着く。

男優位の社会に憤って、男と平等であろうとして生きづらい生き方をこれからも生きていくわけではない。戦い続けるわけではない。

まわりが理解してくれて、自分の生きやすい社会が実現するわけでもない。

人との出会いによって、直子が自然に、女性として生きていくことを選んだ。と私は感じました(結末のとらえ方は、読者によって全然違う作品だと思います)。



この作品が理想を語る夢物語だったとしたら、戦い続ける女性カッコイイ!だったり、理解してれる人がいたよハッピーで終わるけど、そうならないところが、桐野夏生ならではの、皮肉であり、説法であるようなそんな感想を抱きました。

ひとりの女性として戦わなくちゃいけない環境から、人と出会い、誰かとカップルになることで戦わなくてよくなっちゃうって、まさに今の女性の生き方、生きやすさじゃないの。

悲しいかな、「ただの夢物語」のほうが、読後感はスッキリする。

「夢も希望もない」作品なのです、これは。とりあえず苦しんだあと救われてなんだか達成感さえ得るような作品ではないです。だから、私以外の評価も総じて低いのではないかなー……