世界と人生を彩るもの

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死ねばいいのに

なんかびっくりするタイトルだけど、本の題名です。


ある女性が殺されて、ある男性がその女性のことを関係者と思われる人に尋ね歩くストーリー。


目次に一人目。二人目。・・・と書いてあるのが意味もなく怖いです。作品の前情報なしに本を手にしたので、何が起きてしまうのかが、読めなくて。



壮絶な本でした。


最近衝撃を受けた本(衝撃の内容は違えど)は、告白やストロベリーナイトですが、それを凌ぐ衝撃。


 「だから俺は、アサミのことが知りたくなった。でも他の連中はさ、みんなぐずぐず不平ばっか言って、自分が世界一不幸だみてえなことばっか言って、それでもみんな死ぬとは言わねーの。そんな我慢出来ねえほど不幸なら、死ねばいいじゃんて思うって。」

(「五人目。」より抜粋)


死んだアサミのことを知っていると思われる人に彼女のことを尋いても、返ってくるのはその人の不平不満話。ただその不平不満を、不幸ならしめているのはその人自身。


自分の置かれている境遇(上司や環境に正当に評価されない・・)を嘆いて、自分の不幸は全て人の所為にしているが、自分を憐れむその目こそが自分を不幸に位置付けている。


そんな登場人物は、人生を悲観して絶望しているようにみえるのに、「死ねばいいのに」と言われると、死にたいわけではない。結局そんな程度のもの。


それに対するアサミの対照性。



人は自分の目(価値観)でものごとを判断するけれど(他人だけでなく自分のことも)、その判断による物事の位置づけ(枠組みへのあてはめ)こそが自分を不幸にしていることがある。他人を自分にとっての「不幸な人」にする。身の回りにある不幸は、誰かによるただの「レッテル貼り」にすぎないのかもしれない。


死ねばいいのに/京極 夏彦
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京極夏彦さんの本は初めて読んだのですが、話の逸れ方が面白いなと思いました。たとえば友達と会話しているときに、ふとした言葉・キーワードから自分だけが思考の中で脇道に逸れているときってありますよね。たいていは1分も経たない間にどうでもよくなったりする些細な脇道。


この本は2人の登場人物の会話で進んでいきますが、問われている側の人物の脇道が、その人の人物らしさを滲み出し、殺されて女性との関係性もあぶり出し、その描かれ方がうまい書き手なんだと思わせました。