はじめに
2020年9月6日(日)に行われた「沈んだ街あるき~夕張市鹿島地区~」に参加してきました。当時、現地からのツイートをたくさんしたので以下に載せる写真(140枚くらい)のうち50枚くらいはすでにツイートしたものです。当日、現地ツイートを全然見かけないなぁと思ったら、ドコモやソフトバンクは圏外だったらしい。私はau。
目次▽
- 現地到着と渋滞
- 受付を済ませてダムカレー!
- 大夕張駅近く、栄町・緑町・代々木町・弥生町の辺りを散策
- 夕張シューパロダム建設時の原石(骨材)保管場所
- 明石町
- いろんな空き瓶
- 明石橋と旭沢橋梁
- 旧国道を進む
- いろんな看板
- 桁橋と砂防ダム
- 駐車場近くの気になるエリア
- 散策終了とキリ助
- 大夕張メモリアル眺望駐車場/鹿島眺望公園
- (新)白銀橋
- 富士見橋と宝橋の間にある駐車場から
- 最後に
現地到着と渋滞
この日は札幌を7時30分に出発、栗山ダムを経由して夕張へ向かいました。
栗山からは道道3号、道道38号を通り、国道452号へ左折し、清水沢ダムや夕張シューパロダムへの右折ポイントも通り過ぎて目印の鉄塔までやってきました。
△右折待ち車列の10台めくらいだったように思います。この時10時51分。
11時からのイベント開始には間に合った!つもりだったけれど出遅れたのは間違いない。栗山ダムに寄ってきた自分←
△「鉄塔、鉄塔、、」って目指してきたけれど左手に目立つ看板もありました。
さて右折して旧国道へ入っていきます。右折までかかった時間は3分くらいだった。
入り口渋滞!! #沈んだ街あるき pic.twitter.com/0X9bartzMF
— 彩り (@ayakaaaand) 2020年9月6日
振り返ると10台どころじゃない車の列。みなさん11時のちょっと前に到着を目指して来られたよう。これは普通に三笠方面に抜ける人がいたら大変です。
これもしかしてダムカレー食べれない
— 彩り (@ayakaaaand) 2020年9月6日
\( ˆoˆ )/#沈んだ街あるき pic.twitter.com/bvnWVxuJ2f
右折してからも車の列は続く。
国道452号を来る途中、白銀橋のすぐ近くの広いスペースに数十台の車が駐車してあるのが見えました。会場にはいくつかの駐車場があると聞いていましたが、「もしかしてどれも満車で空き待ちなの‥!? この列がず~~~っと続いているならダムカレーは絶対無理じゃん・・」と不安になりましたよ。
△すすきがきれいに揺れていました。ちなみにこのとき気温は28℃くらいなんだけれど体感では30℃超え。普段使わないクーラー全開にしないと耐えられない暑さ。
受付を済ませてダムカレー!
△30分ほど待って受付に辿り着きました。テントで必要事項を記入する方式。ここを過ぎればスイスイ進みます。
気づけばお昼どき。そもそも朝食をとらずに出発していたので真っ先にダムカレーを目指すことに。本部テント近くの駐車場に車を停める。飲食や物販はここに固まっていました。
じじばば食堂さんの夕張シューパロダムカレー🍛!! #沈んだ街あるき pic.twitter.com/MbjwbVmCth
— 彩り (@ayakaaaand) 2020年9月6日
#ダムカレー pic.twitter.com/CiTJnPxVOD
— 彩り (@ayakaaaand) 2020年9月6日
△自分でカレーを注入するスタイル! カレーを注入=貯水であります。これがまた……今日のイベントが、ダムができたことによって沈んだ街を歩く、という企画なので、このダムカレーにもグッときました。かつては普通の、人の住む街だったところが、下流にダムができたことによって川が堰き止められ湖となって沈む。頭ではわかっていても、自分でルーを流し込んで沈んでいくものを見るとなんだか、、身に迫るものがあった。
夕張シューパロダムカレー! おいしくいただきました。
大夕張駅近く、栄町・緑町・代々木町・弥生町の辺りを散策
△ダムカレーのあとは、そこに駐車した車はそのままに、川の方へ散策してみることに。
ここらへんは(参加者に配られた地図を見るに)駅でいうと大夕張駅の近くで、上の写真は栄町と緑町に挟まれ、代々木町・春日町・弥生町のほうへ進む通りのよう。
在りし日の写真が掲示されています。この場所に、かつて人が住んでいて建物があったことが伝わってきます。
㉒栄町商店街(駅から撮影)と⑳大夕張駅前通り
番号は受付でいただいた当時の地図内にも記されていて、自分が立っている場所と照らし合わせることができます。これは楽しい。
パッと見、草が生い茂っている「自然」なんですけれど、よくよく考えると「自然」には、こんなにきれいな平地はないような気もする。もともと河岸段丘だとしても、やはり人が住んでいたと思うとより合点のいく地形というか。
このあたりは(新)白銀橋からそこそこ(夕張川)上流にあるので、毎年がっつり沈むわけではないのかも(草や木も生えているし)、なんて思って歩いていましたが、
△春先満水位 WL.297m。こちらは常時満水位の値ですが、「春先満水位」とあると時季も合わさってとてもわかりやすいですね。
この看板ひとつ立っているだけで、今歩いているこの場所も、春先の、かんがいのための放流目前の時期には水没していることが伝わってきます。
△左から、㉖協和会館、㉗大夕張劇場、㉘児童会館、㉙栄町ブロックアパート
△轍に水がたまっていましたが、雨が溜まったものではなく湧き水でした。とてもきれいな湧き水が流れてきてここに溜まっていた。この日の散策ではあちこちで湧き水を見かけました。
△道の両脇には集水桝がありました。
蓋がないので要注意。
陸地となっている部分の端っこまでやってきました。この時点でシューパロ湖の北端なのか夕張川なのかよくわからない。そもそもダム湖の場合は川の一部に含まれそうな気もする。水位が変動するダム湖で川と湖の境界を分ける定義はあるのかな?
ここはかつても夕張川なのかと思ったら、立ち枯れの木が多いことと、地図を見るに、春日町のあたりのようです。夕張川にかなり近い、低い土地に見受けられますが、洪水なんかは大変じゃなかったんだろうか。
△余談ですが、GoogleMapでこの辺を見ていたら、上の写真の右側に見切れている辺りで夕張川に合流する、めちゃくちゃ蛇行している川があって、MAPS.MEで名前を調べたら磯次郎沢川というらしい。ネーミングといいめちゃくちゃ気になる。GoogleMapのデフォルト地図だと上流にダム湖みたいなのあるし!(航空写真だと森に埋もれて見えない)
△北、夕張川上流の方。
△南方向、弥生町のあたり。
△ふわふわした草が蔓延っていた。
△くだっていく道。(シューパロ湖に近づける!)
△ガラス容器のかけらがありました。なんて綺麗な色! 昭和レトロとでもいうのか、色も模様も素敵すぎる。
△下って行く道、その先は湖の下へ沈んでいく。
△地質が分かれているわけではないけれど地層のようになっていました。あちこちからゴミがのぞいています。
△水没して湖底になり泥がたまり、そのあとまた水位が低下して露出し、湧き水が流れて小川になって泥土を浸食していく。
△ふと脇に目をやると湯たんぽが!
△金属製の湯たんぽ、錆びています。ひと昔前のプラスチック製湯たんぽや現在主流のジェルタイプの湯たんぽでは出せない雰囲気がただよっている。
△道の先。隠れた入り江みたい。
△ふと目をやるとあちこちに人が住んでいた形跡があります。
△昼間なのと人の多いこの日だからいいけれど、夜見つけたら悲鳴をあげそう。
かつてこの道の先に住んでいたという方とお話することができました。この坂道は昔のままだと仰っていた。冬はのぼってくるのが大変だったそう。
「こんな風にまた戻って来られるなんてね~冥土の土産だと思って来たんだわ〜」
笑顔で話されていたその言葉が今も印象に残っています。自分が住んでいた場所がダム湖に沈む。どんだけ想像しても、ご本人の気持ちには足りないんだろうなと思う。
夕張シューパロダム建設時の原石(骨材)保管場所
さて、夕張川の近くから大夕張駅の方へ戻ります。行きで気になったスポットに立ち寄ってみました。大夕張駅跡へ戻るときは左手前、大夕張駅から夕張川方面へ向かうときは右手奥にそのスポットはあります。鹿島弥生町の西端・緑町側です。
△まわりにはほとんどなにもないのにここにだけものすごい存在感で残るコンクリートの基礎のようなもの。
ん~
(札幌でも見かける、)コンクリート工場の、石を保管する場所に似てるなあ、とは思ったのですが、ここまで散策してきて、このコンクリートの裏手にはハーモニカ住宅があり多くの人が住んでいたことを知っていたので、そんなまさかすぐそこに人が住んでいる場所で砕石しないよなあ!?とわかりかねていました。
そしたらちょうどそのときガイドさんが通りかかり、話を聞くことができました。ここは夕張シューパロダムをつくるときに原石山からもってきた材料を保管していた場所だと。だから昔住んでいた人からしたら見慣れない建物なんだよね、とも。
! コンクリート工場っぽいというのは当たってましたが、時期を勘違いしていたのでもう大ハズレですね。まさかの夕張シューパロダムのコンクリートの原石(骨材 )置き場だったとは。裏手に住宅が!と思ったけれど、すでに住民の方が去ったあとに造られたものなんですね。
帰りがけ、この辺りを見ながら「こんなもんあったかな~」とつぶやく男性がいて、聞いた話を伝えたら「そうでしょ?!やっぱこんなのなかったよね!」と安心してた(笑)
思いがけずダムに関係する建造物に巡り会えました。 (あとからGoogleMapの航空写真でこの界隈を見ていたら、上の写真の構造物の南西にもいくつか同じようなものが写っています。また歩く機会があったら見に行きたいものです)
さて、車に戻って移動します。
この次は千年町(千歳町)の辺りも散策可能なのですが、その近くの駐車場が満車だったため、通り過ぎて明石町の方へ行きました。
いちばん下流側の駐車場も満車ということで、旧明石橋は渡らずにその手前のとても広い駐車スペースに停めました。この時期以外は沈んでいるとは思えないほど、広く平らな駐車スペースです。数百台停められる広さ。
明石町
△位置関係こんな感じ。
今回、旭沢橋梁や明石橋、あとは上の画像より南側へ行った、道路が湖に沈んでいるところなども見たくてきまして(←それしか知らなかった)、当初は駐車場事情がわからなかったので、これよりだいぶ北の入り口からず~~~っと歩いてこなくてはならないのかと思っていましたが、こんなに南側まで車で入ってこれてとても助かりました。
旭沢橋梁や明石橋を目指します。
△新しい方の白銀橋。この日は交通量が多かったです。
「夕九三」、三角点なのかね。調べても出てこなかった。
いろんな空き瓶
△足元、
△ファンタ!
瓶のファンタは飲んだことがない気がする。
△リボンナポリン!!
△キングジュース ?
△ヤクルトスカッシュ!!!!!!!!
飲みたい!!!!味の想像ができない!
(昔の瓶って食品表示がまっったくないんだな、そういえば)
このほかミリンダー?という飲料の瓶もありました。
△お店か何かがあってゴミを投げてた場所なのか、空き瓶の墓場みたいなところがありました。今では見かけない瓶ばかり。
明石橋と旭沢橋梁
近づいてきました~~~
ああ、橋について語る語彙力をインストールしたい。
この近さで色と構造の違う橋が並んでいるのがたまりません。手前、エメラルドグリーンの橋がスパンドレル・ブレースド固定アーチ橋、奥の赤茶色の橋が方丈ラーメン橋(方丈と方杖どちらが正しいの?)でしょうか。
△もんのすごい逆光でしたがなんとか撮れて良かった。もともとの明石沢川の川幅はわからないですが、水没したりまた出てきたりを繰り返しても、人や車が渡れる強度を保つ橋……素晴らしい!
△なにか書いてある! 橋の諸元かな?と思って撮っておいたのですが、今みると「塗装記録表」なんですね。
「塗装月日 平成11年9月」と書いてあります。平成11年は西暦だと1999年。
Wikipediaによれば、1998年に「夕張シューパロダム建設開始により、鹿島地区より住民の移転完了」とのこと。じゃあなんで1999年に塗装したのかな? 夕張シューパロダム建設工事に使うから?と思ったら、国道452号の付け替えが完了したのは2011年12月で、旧国道が通行止めになったのは2013年8月なんですね。私の勝手な想像で、旧国道から新しい国道への付け替えが終わって、いよいよ旧国道の通行ができなくなるときに住民の方の引っ越しが完了するのかと思っていたのかもしれません。鹿島地区からの移転が完了してから15年、この橋が通行できていたのは意外でした。
参照:大夕張 - Wikipedia 2020年3月16日(月) UTCの版
橋の塗装記録表に話を戻すと、塗装材料の下塗1と2に「鉛系錆止めペイント1種」、中塗と上塗に「長油性フタル酸樹脂塗料」とあります。これまた奥深くて深入りは避けますが、どちらも防食のために使われる塗料らしい。沈むとわかっていても、しっかりメンテナンスされていたのだなあ。
△ずいぶん古い橋です。親柱が渋くて良い。橋名板が剥がれてしまっている。
△旧国道452号となっていた2本の橋。古さからすると写真左側の橋がまずあって、その後右側の橋が造られたのでしょうね。旧橋と新橋。
そもそもこの辺りは道路より鉄道が先にできていて、隣町へ行くにも鉄路しかなかったというのですから、街のでき方そのものにも興味がわきます。昔は鉄道というインフラから街ができたんだなあ、と。
△新橋のエメラルドグリーンの高欄にカメラが置かれていました。これいつからあるんでしょう? このイベントのために置いたのかなーと思いましたが、変わりゆく景色を見つめ続けているようでエモいという言葉以外出てきません。
△三菱大夕張鉄道の旭沢橋梁。
この下を流れる川は明石沢川、道路橋は明石橋、鉄道橋は旭沢橋梁という不思議。
△歩けるところをうろうろします。
△線路跡。
△鉄道橋って思ったより幅がなくていつも驚く。
△バラスト。
△明石沢川の上流側。右上に写るのは現国道452号の緑橋です。
△こちらの構造は、先のシューパロ湖の巡視の際に学びました、トラスド・ ガーダー橋。
△橋脚と橋台の間の法面、何か見える。
△対岸の法面。こうやって補強していたのですねえ。
△橋4基揃い踏み!
△新橋の方は橋名板も残っていました。「あかしばし」。
新橋は下部構造は赤茶色だけど高欄は旧橋に揃えているのですねえ! いいですねえ!
△昭和27年 (=1952年)10月完成
△新旧の橋の間は金網が貼られていました。
△ド根性系。
塗装が剥げてて気づかなかったけれど、旧橋の方は高欄もエメラルドグリーンに塗られていたのですね。
△ジョイント。
△(新)白銀橋は単弦ニールセンローゼ橋。
南側の大きな駐車場に車を停めて、ここまでさして遠くないはずなのに30分ほどかかっています。いろいろなものがそこにあるだけで見どころになっているので、足も止まるし時間が経つのが早い。この日の開放時間は11時から15時30分(最終入場15時)、入場の渋滞で30分ほど出遅れたり、ダムカレーで時間を使ったとはいえ、十分だと思った4時間半、本当にあっと言う間に過ぎます。それだけ見どころたくさんの場所です。
旧国道を進む
△旧国道452号。
△60.明石町駅 三菱大夕張鉄道
△小さな川が流れていて、
△集水桝に流れ込んで、旧国道の下を通り、
△シューパロ湖側へ流れ出ているよう。
△ガードケーブルが倒れている。
△右手(西側)には、この日見た中では一番普通の橋が見えました。桁橋。単純桁橋かと思たけれどよくみると連続桁橋。橋脚のコンクリートだけ真新しく見えます。奥に見える砂防ダムも気になるのであとで立ち寄ることに。
そのまま旧国道を歩く。
△振り返って白銀橋のほう。
△進行方向。
△左手には旧白銀橋がみえました。
△ナンバープレート、分類番号がまだ2桁ですね~。今調べたら10~19は普通貨物自動車の分類とか。どんな車についていたんだろう。
△きれいな立ち枯れだなあ~と思ってみていたら、梢の方に枝が!引っかかっているんだけどそれが水平なもんだからとても神聖な感じがする。
△国土地理院地図でこの辺の標高を調べたら285mくらい。春先満水位(常時満水位)が297mなので、春先のこの辺りは水深12m。水位が減っていく途中たまたま引っかかったのか。すごい。
△旧白銀橋は下路ランガー橋。
△この散策の終着点。
道路の低いところが水に沈んでいるだけ、といえばそれまでだけど、水に沈んでも道は続いていると思うと、、言葉に変換できない気持ちが胸にぎゅーっときます。
△川の防災情報から夕張シューパロダムの情報を拾っておいたのですが、この日のこの時間の水位は280.63m。水没するところの標高が280.63mということですね。
いろんな看板
△鹿島砂金採取跡地案…内図?
宝さがしの地図のような笑 大夕張営林署の文字も読み取れます。
△三七年度は昭和だとして=1962年度なわけでずいぶん昔のものが残っているものだ。大夕張鹿島林道、なのかな? 営林署の林道標柱なのかな。
△ 「注 (意) 熊 出 (没)」
△「…林…心得 …の担当… みた(だ)り…傷盗採すると…せられます。…事故…注意して…ましょう。大夕張営林署」
△看板が散らばる辺りには国道から分かれた道がのびている。この先が旧白銀橋へつながっていたの?
さて開放時間の終わりも迫っており駐車場に戻ることにする。
時間に余裕はないのだけれど、左手に再び見えてきた橋をもっと近くで見たくて国道から斜面を突っ切ることに。
桁橋と砂防ダム
△最近もう橋が好きすぎて、この日こんなにいろんな種類の橋がみれてとても楽しかった。
△お気づきだろうか。
△主桁(というより床板か)の真ん中の下にハチの巣がぶら下がっているの!!!ぶんぶんぶんぶんしてた。ひいいいい。
ちなみにここまで急斜面をよじ登って来たのですが、少し横にみなさん歩いたと見えて獣道みたいな小径ができておりました。緩やかな坂道。
△登り切って南方向、流木が積もっており通行は困難でした。小径に気づけばすぐ下の国道に下りれたけれど、国道からの分岐まで戻った方が多かったかもしれません。
△目当ての砂防ダムも見に来れました。
△「昭和52年度/明石町コンクリート谷止/㈱井出組/林野庁/大夕張営林署」
昭和52年=1977年か。今では時季によって砂防ダム自体が湖に沈んでいるのですね。
旧国道に戻って駐車場へ向かう。
△法面の枠!
△こちらはハニカム型だ!!
駐車場近くの気になるエリア
駐車場に戻って、次は広い駐車場の北側の辺りを散策しました。
△湖面巡視のときに気になった並木。
△斜路に使ったような傾斜なんですよねぇ…
△もともとなんの場所だったのかとても気になる。
散策終了とキリ助
この時点で15時を過ぎており、開放時間がそろそろ終わるのと、出遅れた散策開始からもすでに3時間が経過していました。どこもかしこも興味深く見させていただいたけれど気づけば溜まっている疲労←。日差しが強すぎたのと気温が・・・
そろそろ帰路に着きます。
△キリ助も見れた~
大夕張メモリアル眺望駐車場/鹿島眺望公園
名前がいろいろある
△この日夕張岳はずっと雲をかぶっていてみえませんでした。
△ふる里 大夕張の碑、母子はマスク姿。
隣の碑の前では男性が大声で校歌を歌っていました。娘さんとお孫さんが横でニコニコ聞いていた。
(新)白銀橋
△(さきほども書きましたが)白銀橋は単弦ニールセンローゼ橋。
ひゃっはー
△山の尾根の延長に立ち枯れの木が続いていきます。
△逆光オブ逆光ですが、旧白銀橋も見えます。そして流れ方が違うのか湖面に筋が。
△竣工年月は「平成26年2月」、2014年です。
△いい角度から見ることができますー!
さてまた移動して
富士見橋と宝橋の間にある駐車場から
△新旧白金橋。
△新白銀橋にいるときもこの駐車場にいるときもまだ見学者の方が多く見えました。やはり水没ラインのあの場所はとても人気のよう。
△立ち枯れの木、日差し浴びて白く目を引くところと、日陰になっているところのコントラストがいいですね。
見てきたことのレポはここまで。
調べたこと、想像したところ含めて勘違いや誤りがあったらすみません。
最後に
行くかどうか迷ったりもしましたが、本当に本っ当~~~~に行って良かったです(HBC 今日ドキッ!さんの特集が決め手となりました、ありがとうござました)。私は夕張に住んでいたことはないので、地元の方の「懐かしのあの場所へ」という楽しみ方はできませんが、大好きな北海道の、私の知らない時代・場所の人の暮らしが垣間見えて素敵な時間でした。特に、そこに住んでいた方とお話する機会があったのが大きいです。何があった場所、という知識を得られたのもそうだけど、ここに人が住んでいて、そのあと引っ越して、その引っ越しは炭鉱閉山が理由なのか夕張シューパロダムの建設が理由なのかそれとは別の理由なのかはわからないけれど、いずれにしてもダムによって湖の底に沈んで、気楽に帰ってくることができなくなった場所、そこ住んでいた人と会うことによって、頭の中で想像するよりも少しだけその気持ちを感じたような気がした。その土地にゆかりのある人とお話するって本当に貴重な機会ですよね。それが今回、「沈んだ街あるき」という企画で、大夕張(鹿島地区)の方たちが集まりその方たちのお話を聞いたりできた。ありがたや。
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弥生町の辺りを歩いていると「私はどこに立っているんだろう」と不思議な感覚になりました。強烈な日差しで頭が朦朧としていたのかもしれませんが←、場所ではなく時間の感覚がおかしくなった。2020年9月6日にいるんだけど、どこか過去にタイムスリップしたような感覚。たぶんそれは、その辺に散らばるゴミが見慣れないものばかりだったからだと思います。私が子どものころまわりにあったものよりも古いものが多かった。
鹿島地区の全戸移転が済んだのが1998年で今から22年前。22年前までの物が残っている。22年前からずっとそこらへんにあったものもあるのかもしれないけれど、ゴミの堆積場所からぽつぽつ出てきているものもありそうだと思いました(地層になっていてゴミがちらほら見えたところはそういう場所だったのかな?と)。土と一緒に堆積していたゴミが、この辺りが水に沈んで土が流されることで表面に出てくるとしたら、古い年代のもの増えてくるかもしれない。昔の生活を知る方法として、郷土博物館に行く!なんかがありますが、そこで展示されているものとはまた違ったリアルな生活の跡がこの地区には散らばっていました。ある時期までの暮らしがダムに沈むことによって保存されていたともいえる。博物館に残すべしと選ばれたものと、ゴミとして捨てられその土地に残されたもの。
(話が逸れますが、昔の”ゴミ”は鉄やガラス製のものが多くて雰囲気があるけれど、仮に今のゴミが残ってもビニールやプラスチックばかりで情緒もなにもなさそう……ビニールやプラスチックは壊れやすいし流れやすいし浮きやすいしなあ。ある程度重さのある鉄やガラス製品だからこそ残っているものも多かったのだなあ。)
長くなってしまった。無理やりまとめますと、そこに住んでいた人とお話できること、20年以上前の暮らしの片鱗をあちこちに見られることは文化人類学のフィールドワークのような貴重な機会であり、その機会を作ってくださた関係者の方々、運営に協力されていた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。また来年もイベントがあるといいなと思いますし、そのときは運営にも協力しなければ。朝は寄り道しないでちゃんと行かなくては。
△翌日の北海道新聞電子版。
今回散策して、この鹿島地区、とても魅力のある場所だと感じました。
私が最近夢中になっている場所としてタウシュベツ川橋梁含む糠平周辺がありまして、当初は糠平ダムとタウシュベツ川橋梁しか知らずに行ってみたんですが、それ以外の橋梁群やかつての人の暮らしを知るにつけさらにどんどんはまっていきました。通う度にもうちょっと深く探検してみたり、同じ場所でも季節や時間によって雰囲気が違ったり新しい発見があるのがたまりません。糠平と鹿島地区と比べてみると「ダム(・湖・川)」「鉄道(・廃線)」「橋梁群」「かつては人が多く住んでいた(栄えていた)場所」などの共通点があります。林業で栄えた町と炭鉱で栄えた町の違いはあるけれど、時代に合わせて使われた土木技術を見学できたり、ダムによって水没や露出を繰り返すという「いつでも行けるわけじゃないマボロシ感」も同じ。
ただもちろんすべて同じなわけではなく、それぞれに他にはない魅力があります。語りだしたらブログ1つ書けそうなので割愛しますが、糠平と言えばタウシュベツ川橋梁で、その魅力がコンクリート製アーチ橋が朽ちていく姿だとしたら、鹿島地区の魅力はそこに栄えた大夕張の人々の暮らしを感じられること、なのではないかと思います。20年前までそこにあった暮らし。
観光スポットとしてすでに成功している糠平を引き合いに出しましたが、共通点も多いことから同じように興味をもつ人もいるでしょうし(私のようにとりあえず行ってみたらハマる人も絶対いる)、また夕張ならでは、鹿島地区ならではの魅力でもって人を魅了することができると思います…。上から目線で言いたいわけではなく、なんでこんなことを語ってしまうかというと、上の記事でもそうでうすが「まさかこんなに来るとは」「なんの魅力もないと思っていたのに」「殺風景」だなんて言ってるから…魅力に気づいていないとしたらもったいないなあと思います。また行きたい場所です。
昨年9月の三弦橋イベントといい、今年2月の凍結湖面歩き(コロナで中止)といい、興味を持って集まっていたのはダム好きさんだけではありませんでした。「普段行けないところ」というだけで人を惹きつけますし、それに付加価値がつけば行くっきゃない!ってなりますよね。札幌市民としては距離という魅力もある。夕張行きやすい。行って遊んで帰ってきたらちょうどよいドライブ。日帰りになっちゃうけど。お金落とす場所下さい。
また長くなってる!
最後に余談ひとつ。
一昨日9月11日(金)は私が楽しみにしていた、とある映画の公開日でシネマフロンティアに見に行ったんですが、その映画の監督は行定勲氏で、過去作品なんだっけ~とWikipediaを見ていたら「北の零年」がありまして、そのあと北の零年のページを見ていたら、「シネマフロンティア開業に関係している」って書いてあるし、吉永小百合さんが主演になるいきさつと行定勲氏が監督になるいきさつ面白いし、しかも夕張の鹿島地区で撮影されたって書いてある! ちょうどこのタイミングで知れたことに驚きました。(てことは熱烈サユリストさんたちのロケ地めぐりの需要もあるわけですね。9月6日もいたのかどうか。)→北の零年 - Wikipedia
北の零年、どうして見てないんだろうと思ったら公開年2005年で、私が大学生で遊びまくっていた頃でした。近いうちに見たいです。
ほんとうのほんとうにおわり!